2010-03-18

iPad上陸に学ぶ。こだわるところ、適度にしておくところ、投資判断が重要な競争力となる

i Phoneの電池の消耗が早くなり、最近では3時間くらいで切れてしまうようになってしまった。6月頃には4Gが登場するという噂もあり、かつ、気がつけば間もなくi Phoneユーザ歴2年になり、9月には月々のi Phone端末の支払いが終わる。早いもんだ。
当時珍しがられたi Phoneも今や電車の中ではありきたりの光景になった。
3GSにすべきかどうか?悩みどころ。それよりも、「電池交換を自分で出来ない設計というのは一体どうなってんだ!」とも思っていた。こういうところ、日本のメーカーには有り得ない配慮の無さを感じていたものだ。
しかし、i Padが4月下旬に販売されるとなると、事は大きく違ってしまう。
まず、i Phoneを使ってからこそ出てくる不満。例えばメールを打つのが億劫だったり、ネットをブラウズするときなど。i Phoneの魅力であるsync(端末を変えても同じものが見られる)が半減してしまう。しかし、i Padであれば十分でしょう。
http://www.apple.com/jp/ipad/?cid=MAR-JP-GOOG-IPAD
恐らくi Phoneが販売された時にはすでにi Padは出来あがっていたでしょうから、APPLE社はそれを見込んでわざわざ電池交換の部分に開発コストをかけなかったとも言える
i Padでは恐らく私が今抱いているi Phoneユーザならではの不満(持ってしまったからこそ生じる期待感)を解決してしまうでしょう
ユーザが欲しいのは、便利なインターフェイスであり、使い勝手であり、プロモーションビデオでアピールしているような、
「人が製品に合わせるのではなく、製品が人の一部になる」のだという目標の実現に集中しているのだ。
いずれ、i Phoneの3Gなんてテレビが普及しだしたらころのもの(当時テレビ受像機は木製の箱におさめられていた)みたいなもので、いずれ捨てられるものである。
恐らくAPPLE社はこのように考えているのではないか?

  • 現代人はコンピュータあるいはモバイル端末に1年半の使用で不満を持つようになる。
  • だからこそ、2年契約にする。そうすると半年分残るのでユーザが許す範疇で残債分は利益になる。
  • そのころを見込んでまったくこれまでには無い発想の新商品を投入する。


つまり、もし私が一年半でi Phoneを手放せば、3,900円×5か月の約20,000円は残債となるのである。つまり、丸々アップル社ないしソフトバンクの純利益となるわけだ。(実際にはそう単純じゃないでしょうけど)
恐らく私は次はi Phoneは買わない可能性が高い。
ソフトバンクの別の安い端末にしてメールやネットなどはすべてi Padに任せてしまう。一カ月我慢をすればいいだけだ。
価格も安いので出張する人にとってはとてもいいでしょう。
私のような仕事ではプレゼンテーションや打合せにも役立ちそうだ


すべてを完璧にスペックをそろえるのではなくて、電池交換などという、新たな端末が不要なところはそこそこに作っておいて、それよりも、ユーザが毎日接するところに集中して投資をする

日本人は何でもすべてを完璧にしてしまおうとするので、ここは学びたいところだ。
ていうか、新たな競争ルールが始まっているのである。

今頃になって日本のキャリアはi Phoneの真似をした商品を出したりしているがもう遅い。マーケティング力をないがしろにしてきたツケだ
私が思うに、今年は
  1. 全く新たなカテゴリーを創造していく市場が先にあり、
  2. それについていけない人たちのための切り替え市場

が現れるのである。
これを意識しておかないと、新商品を打ち出した時にはもう古くなっている、日本企業はこのジレンマから抜けられなくなる

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2010-02-07

ゲーム脳について ドクターなかがわさんより(3)

遠隔手術やナビゲーション手術は急速に進んでいます。
左右の異なる画像から3D視することが当初は訓練として必要でした。
ジョイスティックのようなもので操作したりする時期もありましたが、いまはより実態感覚にちかい操作感になっています。
そういったあたらしいデバイスの使い手は、間違いなく若いゲーム世代、実際にゲームで育った人たちから生まれてきています。
初期には、バイブレーションなどのキックバックがより実際的であることが望まれていたのに今はアラーム音で充分ですから、人の感性は本当に五感を切り離して行く方向で進んでいる様子です。

結婚が遅れるのもそういったリアリティ以上の疑似リアルで脳が満足できる脳の可塑性による進化による適応でしょう。

そうかんがえると やはりゲーム脳化は大切です。

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ゲーム脳について 医学博士中川雅文先生より(2)

人が二足歩行になり手に入れることができたのが、より肥大化した大脳です。道具を使うことで、運動野と視覚野を連動する必要が生じ、そのコントローラーとして補足運動野と前頭葉が発達しました。
手を自由に使うことは、呼気のコントロールにもよい効果を与えました。つまり、音声のコントロールが容易となったのです。ちなみにサルは吸気でも呼気でも音声を発するのであのようなヒヒヒヒというような音になっています。もう一つおまけで言うと相手よりも高い声を出している時、動物本能的には、相手に同意していることを錯覚させる効果があります。ですから名演説は、かん高い声でおこなわれ、声を高く出すために、手を振りかざします(手を上に上げると胸郭と気管の関係から音のピッチが上がります)。
話を戻しますが、
コンピュータのハードディスクという記憶媒体は人自身が、もうこれ以上姿形をかえられないところまで来てしまったために手に入れた新しい大脳皮質だったわけです。だからPCが携帯性をもつことが望まれ、クラウドが必要だったのです。
脳はその生理と本能において決してスパコンを望んでいないのです。
人は、今、五感を分離して使い分けるトレーニング装置としてゲームを手に入れました。ゲームを使いこなせる脳だけが、クラウドを身体の一部にしうる次世代型ヒューマンへの進化を可能にします。

そして私の結論もまた
「ゲーム脳を持つ人が恐怖なのではなくて、ゲーム脳を理解しようとしないあなた自身が恐怖なんでしょう」といことなのです。
というところに落ち着いてしまいます。

今世紀におけるバベルの塔の悲劇は、クラウドにおける基本OSの合意を意味するのかも知れません。

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ゲーム脳について 医学博士 中川さんより(1)

NHKためしてガッテンでもおなじみの医学博士、中川さんよりおもしろいコメントをいただきました。私も今先生が翻訳された本を読んでおります。

いやあ本当はね、私なんぞ相手にしてもらえないような方な方なのですが、先生も、お酒が好きでしてねえ・・・。ヽ(´▽`)/

多分若い頃は(今でも)イケメン。

でも、全然気さくです。

中川 雅文さん

・医学博士
・NPO日本ヒアリングインタナショナル理事長 
http://npo-hij.so-netsns.jp/
・創進会みつわ台総合病院副院長

<コメント>

発達過程における感覚統合は、健常な心身形成のために必要です。
6歳児までに五感の間隔は相互に補完的に交叉していきます。
視聴覚の統合によって、聞き取りにくい状況下でも口の動きを見ればわかるといった能力が発揮されます。
意識下での姿勢維持のための脊髄反射は本来、四肢の相互関係から保持された機能でしたが、人は手で道具を使うことから、姿勢保持を下肢だけに依存するように進化(最適化)しました。最近行われたニホンザルでの研究でもサルに道具を使わせると急速に意識に関係する脳の部位が活性化することが確認されました。サルの研究の究極は、猿の惑星という映画そのものの事態を生み出すでしょう。
われわれは、電話によって視覚に依存しない音声コミュニケーションを成立させることに成功しました。おそらくそれがこの200年ほどでのもっとも画期的なことだと思います。視覚と聴覚が分離されたのです。
聴覚は運動器とも連動していますが、携帯電話によって歩行中に見えない相手と会話することになり、聴覚と運動器との統合も分離させました。もっとも難しくおそらく人には不能と思われた携帯電話しながら片手で自転車を操縦することさえいまの若者は可能です。
実はわれわれは日常的にすでに感覚分離が進められています。
地デジによる視聴覚情報がそれです、わずか1/30秒ほどのズレ、本来の視覚と聴覚情報の提示タイミングにおいて、視覚が遅れるという現象を違和感なく受け入れていることです。
脳内情報処理の遅い高齢者(正確には段階的な訓練を経てこなかったIT難民)は、地デジ導入とともに、TVが聞き取れないという問題をすでに生み出しています。某NHKは音声周波数の問題として捉えていますが、実はデジタル視聴覚器機の初期設定のエラーのようです。講演会でバックスクリーンに講演者の映像を流しながら講演を聴くとそのズレというものをすぐ実感できるでしょう。

変化ではなく適応あるいは順応という言葉がおそらく最適でないかとおもいます。

ゲーム脳ではなく「アナログ脳VSデジタル脳」の新しい時代の中であたらしい環境に最適化した脳が全くあたらしいものを生み出すのでしょう。
今の35歳以降はある意味デジアナ脳であって、駆逐される側の脳であると思えるほどにITは進化しています。

6歳までにゲームにはまった脳は、おそらくわれわれの脳とは異質なもので、今の3Dを見てもその感じ方は全く違うそんな感想を言うに違いありません。

「道具が脳を進化させる」

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2010-02-06

ゲーム脳は生きる術となる(3)

一昨年だったか、「携帯電話を子どもを持つのを禁止すべき」だというのがはやったけど、こういうのが出てくると、かわいそうなのは次の世代の人たちだと思う。

大人たちの価値観を次世代の人たちに押し付けているだけで、次世代の人たちにとって、それは求められる能力なのだ。昔筆で書いていたのが鉛筆になったようなもので。

例えばもし、今坂本龍馬が生きていたら、彼はブログやメールをたくさん書き、当然twitterもやっていただろうと。彼は死んでから有名になったのであり、ここに新たな価値観を認めようとしない日本の姿があるのだ。

しかし、まだ明治時代は先進国の数の方が圧倒的に少なかったから良いもの、これから日本は中国、東南アジア諸国とも競争をしなければならなくなる。

新興国の人たちは固定電話を知らない、最初から携帯電話だ。
また、最初からパソコンがある。いや、最初からクラウドコンピューティングでパソコンという概念すら知らない人たちが急増していくのだ。

日本の企業が「FAXで送ります」と外国の人にいうと「日本では未だにFAXなんて使っているのか??」と驚かれるのだそうだ。

それでも、我々大人はそれで生きていけるからいいけど、それを次世代に人たちに押し付けてはいけないと思うのだよ。

彼らは生きていけなくなるのだ。
文字が読めないのと同じように扱われる屈辱を強いていることになる。


○「ゲーム脳」は異常なのではなくて生活に必要な術であり、
○ひきこもりやおたくも、異常なのではなくて、彼らこそ多くの友人を持っていたりする。

坂本龍馬が「軍艦を前にして刀など役に立たない」と言ったのと同じ。
日本人のこの悪い癖は昭和になっても治らない。相手は爆弾を落としているのに、竹槍を持って進めという。

大袈裟な言い方をすると、変化を認めないというのは、若い命を落とすことにもつながるわけだ。いや、でも事実でしょう。
しかも、これは今日の不況の大きな要因の一つでもあると思う。

変化を認めないことが若年層の就職難を生み出し、彼らは日本から出なければ職を得られないという事態にまでなっている。外国に行けば、変化を認めない日本の風潮など通じないから、そういう能力が求められるようになる。

○ゲーム脳は日本人にとって苦手なシミュレーション能力を育てるのではないか?

とも思うのです。

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ゲーム脳は生きる術となる(2)

ちなみに、wikipediaによれば、ゲーム脳の影響とされるのが以下なのだそうです。

・ソフトウェア開発者の仕事は視覚情報が強く、前頭前野が働くのは勤務時間内でもほんの一瞬で、使い続けていない。
・彼らの仕事は、設計図を描くわけではなく画面を見て作る。
・朝9時に席に座り、夕方5時までずっと画面を見ている。
・ひらめいたり、集中しているのはわずかな時間で、ただ画面をみている時間のほうが圧倒的に長い。
・彼らは、ほとんど会話をせず一日を過ごすパターン。
・コミュニケーションがほとんどなく、昼休みもひとりで弁当を食べているだけ。
・家に帰ってもディスプレイに向かうことが多く、あまり口をきかない。
・彼らのうちのひとりが「言われてみると、自分でも少しオタクっぽいかな、と思うこともある」と話していた。

⇒コミュニケーションが無いのではなくて方法が変化しているだけのこと、など、単にこれを指摘している人が新しい生活様式を理解出来ないだけのこと。

・若い女性が電車の中で化粧をする行為
・若者が電車のドア近くの床に座り込む行為
・若者がチャラチャラしたもの(ストラップやアクセサリなど)をファッションとしてたくさん身につける行為
・若者がお尻を半分出す行為(いわゆる男性の「腰パン」、女性の「ローライズパンツ」のことと思われる)
・若者のカップルが人前で抱き合ったり、キスをしたりする行為
・若者が定職に就かない(フリーターになる)こと
・森の友人の息子が飼っていたカブトムシが死んだ際に、「パパ、電池を交換したらいいよ」と話したこと

⇒若い女性が電車の中で化粧するのは、一度に複数のことをこなさなければいけない時代にはむしろ求められることで、急ブレーキで「あ、口紅がはみでちゃった」とならないことを心配する方が有益。
電車のドア近くで座り込むのはゲーム脳とは関係ない。

要するに、そうした行為が嫌なだけの話で、脳とは何の関係もないのです。

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ゲーム脳は生きる術となる(1)

先日のセミナーで、「デジタルネイティブがマーケティングを破壊する」というのを発表したのだけど、今回それを作っているうちに気がついたことがある。

それは『ゲーム脳』

一時期現代の若者の生活様式を批判するものとして出てきた言葉ですが、これは疑似科学で科学的根拠、医学的根拠はまったくないそうですね
つまり、「そういうのが増えて欲しくない」という願望に過ぎない、ということ。

それどころか、これからの時代はむしろ、ゲーム脳は生きていくのに必要な能力となっていく。

何故か?これからの時代は記憶が不要な生活様式となっていくからだ。

・どこかに行くときは行き先を確かめるGoogle MapGPSで示される通りに歩けば良い。
・その場所に何があるのか事前に調べてから外出⇒その場所にいってセカイカメラを開ければ良い

などなど、言い出すとキリが無いのだけど。

セカイカメラとは従業員数わずか6人の日本の会社が開発したものだ。
iPhoneセカイカメラを起動させると、目の前の風景にエアタグと呼ばれる情報が浮いて表示されるのだ。

これってまさにゲームと同じでしょう。

2010_000868_3
あたかも、ゲームのように、目の前にあるものをGETすることが必要なのです。暗記などのよりもはるかに重要なものとなるのです。

情報過多というが、人々が知識を持ち、自ら発信する能力を持つ時代には情報過多なのではなくてそれがあたり前なのです

これまでの勉強とは、
・本に書いてあることを鵜呑みにすること
・暗記すること
が中心だった思います。しかしこれからは

・膨大な情報を目の前にして判断すること
・また、その判断とは個々によって異なる

読書の仕方もいずれ変わるでしょう。膨大な出版物の中から、Aの本の第1章のこの部分と、Bの本の第3章のある部分を同時に読む、なんていうことが出てきている。

これまで情報を発信する人(いわゆるメディア)は利権みたいなものを持ち得ていたのですが、情報そのものはマーケティングでいうところのコモディティ化(一般的になって商品価値がなくなること)していくので、世の中に数多くある情報の一つに過ぎなくなる。

しかし、こうした能力を身につけるのに学ぶ場所がありません。

新興国は最初からこうした能力を身につけることを重視していくでしょうから、こうして文明の興亡というのは起きるのですね。

ビジネスの世界でもよく聞かれるのが「成功事例を教えて欲しい」、でもターゲット(この言葉自体が20世紀用語だけど)がマイクロ化していく環境下では、成功事例を学んでいる段階でもうその市場は占有されてしまっているのです。大体この手のものはかなりの確率で失敗します。

「成功事例を教えて欲しい」は、まさに暗記中心主義の名残です。世の中にある膨大な情報を駆使することで、常に新たな提案をしていかないといけないのです。

ゲームのような思考回路を経て自社製品に到達してきた人たちへ提示できることとなるのです。

マーケティングではAIDMAの法則というのですが、AIDMAが発表されたのは1920年ですよ。それに近いものはすでに1890年代には出ていたというので、ほぼ100年前の理論に基づいたことをやっているわけです。

ネットどころかテレビもラジオすら普及してないような時代でしょう。
そんな時代に求められる能力と、今の能力は異なるはずで。

私自身はゲームをしませんし苦手ですけど、ゲーム脳こそ、21世紀社会を生き抜く術なのです。

『ゲーム脳の恐怖』と言われているそうなのですが、「ゲーム脳を持つ人が恐怖なのではなくて、ゲーム脳を理解しようとしないあなた自身が恐怖なんでしょう」といことなのです

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2009-11-11

消費者ニーズなんて無い??

今起きている事象はある意味原始的な状態からの脱皮、第一段階

と考えていくと、今の時代には、消費者ニーズなんて無いのさぁ、と言っても暴言ではないのでは?という気がします。

というのは、次から次と新しいものが出てくるので、消費者自身も学習しているし、消費者自身が何をしたいのかが元々わかってないからです

高まる電気自動車のニーズだとか、高まる低価格ファッションのニーズだとか、高まるEコマースのニーズだとか、言われてますが、これは10年、20年前の、

大型自家用車のニーズ、ブランドファッションのニーズ、通販のニーズといったものとは意味合いが全然違ってくるわけです。

元来ニーズとは、人が潜在的に考えていることを言います。おなかがすいたから食事がしたいとか、好きな人にプレゼントをしたいとか、寒いから厚でのものを着たいとか。

ここに具体的な商品群(人が作り出した文化的なもの)は本来ウォンツと言います。日本では、専門とする人でさえニーズとウォンツを逆さにとらえている人たちが多いのですが、これには、長い間高度経済成長でニーズとウォンツの区別をする必要が無かったからなのです。

そう考えていくと、消費者にニーズが無いというは逆説であり実はよりニーズを探ることが求められるという言い方もできます。今の消費者は自分が何をしたいのか、よくわからないでいます。こういう時代には、マーケットリサーチをして、販売数の予測を立てたとしても、そう当たらないと思います。

なぜならば調査結果が出た頃にはもう何かあたしいものが出ているから。そう、消費者自身が常に自分のニーズって何?という旅人と化してしまっているわけです。

本当の意味でのニーズって何なのか?

それは今のところ、二つの方法があるはずです。

ひとつは、テストをしていくこと。一頃はやったいわゆるロングテールはこれにあたります。

そしてもうひとつは誰かに導いてもらうこと関西テレビのリアルクローズが話題になっていますけど、あまりにもたくさんの新商品が出ているので、消費者は迷っているわけです。自分の価値観というのをタレントという形で象徴化してモノを買っているわけです。

こうすると、需要重視なのか?供給重視なのか?という疑問が出ます。前者は需要重視、顧客重視であり、後者は供給重視、売る側の都合重視です。

もう、需要と供給のバランスという考え方自体が古くなってしまっているのか知れませんね。ディマンドサイドなのか?サプライサイドなのか?という対決ももう長い歴史がありますが、両者は対決するのではなくて、共存するものなのです

マーケティングでも同様に、モダンマーケティング(顧客重視)なのか?ポストモダンマーケティング(顧客重視を否定)という論争が長くあります。マーケティングをやっているひとにとってわかりやすく言えば、前者の代表格はフィリップ・コトラーです。

コトラーは「マーケティング原理 第9版」では、「マーケティングの目的はつながりをつくることである」として、これまでのマーケティングの概念を変えてしまいました。しかし、必ずしもそうでないことも現象として現れているわけです。かといってそれは従来のプロダクト重視というわけでもありません。

こうして従来の経済学、マーケティングでは説明できないことがどんどんと加速化していく。それが2010年です

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2009-10-04

いっそのこと、沖縄・美ゅらオリンピックなんてどうだ!

オリンピックが落選して、石原都知事の責任を問う声があがっているという。
150億ものをお金投じたかららしいが。

自分は個人的にはあまり東京オリンピックって盛り上がらなかったというか、なぜだかピンと来なかったというか、冷めていた。
東京は大好きだけど、東京でやる必然性ってなんだろう?て思ってしまう。

エコにしたって、オリンピックがあろうとなかろうとやるでしょう、東京てとこは。すでに東京駅の八重洲口は東京湾の海風を通すために駅舎を壊して南北にタワーを分けてしまったし。

愛・地球博ですらまったく話題にならないのが東京という場所なのだ。私の知っている名古屋市民は40回も行ったというのに。

毎日のように何かしらのイベントがあるからね。東京でやるとせっかくのオリンピックも埋没してしまうような気がする

やるなら、

どうして次にしなかったのかなあとかっていう疑問はあるよ。
だって、南米発という大義名分、アジアでは北京が終わったばかりだし、僕みたいな素人でも無理だと分かる。

でもね、こういうことでイチイチ責任を問うのであれば、誰も新たな提案をしなくなる。
落選したらしたで、次に活かせばいいじゃないか。

失敗にも、いい失敗と悪い失敗があるのだよ

東京都の財政規模からすると、これくらいの投資はあってもいい。

少なくても東京マラソンというお祭りは成功しているわけだし、いいじゃない、それで。

「ソウルも、北京も終わって、そろそろアジアで2回目の国があってもいい」
という気運を先に盛り上げるきっかけにはなったんじゃないのかな?

僕は個人的には東京よりも他の都市でやった方がいいと思う。

石原都知事も「次は東京に限らず」と言っているみたいだしね。

でも次は、アジアではドバイも立候補するようで、素人ながらこれはなんか面白そうな気がする。でも選手はたまったもんじゃないのかな。灼熱地獄の中やるのかなあ。
なーんか絵が浮かぶよね?オリンピック関係無しに、僕も行ってみたいもの

いずれにしても、こういう真新しさというか、面白さというか、ワクワク感というか、そういうのを演出した方がいいんじゃないのかなあ

それでだよ、
日本でやるのならいっそのこと沖縄にしちゃうとか
それくらいのサプライズがあってもいいんじゃないの?

名づけて、沖縄・美ゅらオリンピック

東京で環境をアピールしても面白くない。高度な技術を持った日本は世界に浸透しているから、あまりにも当たり前過ぎる。

へえー日本てそんなところもあったの???て思わせること

今回の東京のコンセプト、コンパクト・エコを活かせるのでは?

札幌でもいいんだけどね。大自然の中にある大都市というのは面白い。

空港も滑走路が日本あるから輸送上もいいだろうし。

でも、これに似たような都市はまだまだ世界にあるでしょう。

沖縄でやれば、世界初のアイランドオリンピックってことになる。日本そのものがアイランドだけど。(◎´∀`)ノ

自転車競技だけ、ちょっときついかな?

どうですか?こういうのは。

美ゅら=ちゅら

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2009-09-13

眠れる巨大市場
ネットがすべてでは無いということを知った

すべては語れないのだけど、つい数日前に、自分にとって衝撃なことがあった。

○私はコンテンツというのはネットからダウンロードすればいいと思っている。

○もうすぐどこからどこまでがインターネットなのか、そうでないのか?区別がなくなる。

○高齢者がネットを使わないというのは偏見である。

今回の衆院選もネットがもたらす影響が結構大きかったことが分かっているブログやtwitterなどで形成された口コミ網があったかどうかの違いだ。今回はネットでも自民党はバナー広告を重視したのは改善点であっただろう、民主党はある意味おとなしかった。しかし、私はこの口コミ網の存在には8月26日に気がついた。

自民党の敗因をコミュニケーションの視点から見ると、公職選挙法を変えずにネット解禁をしなかったことが裏目に出たのは確かだ。

それくらい、ネットの影響は大きい。

1)高齢者のネット人口は広がっているもの、Eコマースは手順が分かりにくいところも多いらしい。
2)若い世代になると携帯が主流になる。マーケットがより再分化している。
3)マスメディアの影響は確かに、まだまだ大きい。しかし、視聴率1%の価値は、20年前、マスメディアが全盛期だった頃の半分くらいじゃないのか?

もうちょっと、生活に即した考察をしてみると、

4)PCは軽量化されているけど、基本的にオフィスが家でしか見られない。
  オフィスは大きな会社になると、娯楽で見るのは禁じられている場合がある。
  忙しいサラリーマンは自宅では見ない。
5)仕事でPCを使わない人にってはそれほど接触が多いわけじゃない。
6)携帯電話はほぼ日本人の人口に匹敵するくらい普及している。
  PCが苦手でも携帯はOK、という人は多い。
7)しかしその携帯コンテンツとなると、やはり若年層にしぼられてします。
  若年層にアピールしたい=携帯コンテンツを必要とする企業の経営者が必要性を理解できない。
8)携帯は軽量で便利だが、地下鉄やビルの谷間、山の上など使えない場所がある。

Aを採用すればBがダメ、Bを優先させるとAがダメ、みたいな関係があって、
要するに、すべての人に通ずるメディアが今の時代、無いのだ

これは「これからのマーケティング」を語る際に、自分にとって最大の謎だった。

企業が何か商品告知をしたいとしても、適切なメディアが存在しなくなってしまっているのだ

世間ではマイクロターゲットなどと言われている。
マイクロターゲットには個々にメッセージを伝えやすいインターネットが便利なのだ。
インターネットはGoogleやYahooで行われているように、あるいはその他の技術で、閲覧する人の興味を解析して表示されるようにはなっている。

しかしだ、上記1)~8)のように、いくらネットが広告メディアとして便利になったとしてもだ、
すべての人が接するわけじゃぁないのだ。あるいはネットが好きであっても、接している時間は極めて少ないのだ

それで、必ずしもダウンロードさせるわけじゃない、メディアの在り方というのが生まれつつある。
こういうのが普及し出すとどうなるのか?

電車の中で携帯電話を見るのが日常になっている今、
上記1)~8)が解決してしまうのである。

このように、今は不景気だ不景気だと言われているけど、実は手つかずの巨大マーケットが眠っている
確かに人口が減り、マーケットも縮小しているのだけど、こうした日本ならではの起爆剤はたくさんあるのではないか?

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