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2009-08-12

道州制の議論と国家戦略的な視点と
『国の役割=インキュベータ論』

1.まずはじめに

今回の衆院選(第45回衆議院議員総選挙)でも、地方分権が大きなテーマのひとつとなっています。そして地方分権の象徴として、道州制の議論がなされています。この道州制の議論については、私は地方分権というのではなく、あえて日本の競争力という視点で考えてみたいと思います。

日本の経済的地位の低下、そして閉塞感には多くの人たちがもどかしさを感じられていると思いますが、私はここに国の役割をインキュベータと位置づける ことによってこれらの問題点の糸口とし、その具体的な方法として道州制があるのだと考えています。

2.制度疲労を起こしている日本

私は日本は既に制度疲労を起こしているのでないか?と思っています。これはイデオロギーで考えているのではありません。
日本国憲法が出来た頃、日本のGNP(当時の表現方法)は8兆円程度しかなく、それが今や550兆もの規模になっています。
当時の先進国からすれば小国だった頃と同じ制度でうまくいくわけがない

それだけ巨大な国となっている以上、政府に任せる役割が大きければ大きいほど、意思決定なども遅くなるため、国力の低下をまねきます。

かつてのソ連には国家計画委員会(ゴスプラン)というのがあって、そこですべての生産量を決めていたのですが、当時ソ連ではたかかだか商品種類が20万種くらいしか流通していなかったと言われており、それだけのために10万人もの職員を要したわけです。これは裏を返せば、何でも国で計画をしようとしてしまうと、その国家の機能に限界が出てしまうというこの象徴とも言えます。

さて、日本はどうでしょうか?日本は、間もなく中国に抜かれると目されているとは言え、世界第2位のGDPを誇る大国です。巨大国家なのです。すべてを国でやるのは無理
そこで、私が考えたインキュベータ論です

3.国の役割=インキュベータ論とは

国の役割は、自治体、国民生活に必要な事業体を発生させ、成長させていくことにある」というもので、法制化もします。

1)まず、自治体という側面から

企業でも組織が肥大化していくと多くの場合は事業部制にしたりカンパニー制にしたりと、要するに権限委譲が行われていくものです。もっとも、単なる事業部制やカンパニー制は新たな組織の肥大化を招くことも多く、最近では株主会社、いわゆるホールディングスを作ることによって機動性を高めています

企業の場合常に競争という緊張にさらされていることもあり、こうした機動性を高めるための、分社化は必須要件とも言えます。そして、分社化した会社が上場されればまた新たな意思決定が生まれていきます。

国も同じように考えてはどうか?ということなのです。国レベルというのは企業に例えれば株主会社のようなもので、そうすると地方というのは子会社なり、事業部なりに相当するものが必要になる。だから道州制なのです。

一方で市区町村レベルからみていくと、現在政令指定都市が増えています。さいたま、静岡、浜松、堺、新潟などが政令指定都市へ移行したことは記憶に新しく。今年は岡山市が移行し、さらに、相模原市が準備に入り、川口市を中心とした地域など全国には政令指定都市を検討しているところがたくさんあります。うわさによると世田谷区も(法改正が必要ですが)検討しているとも。

政令指定都市は県と同じような権限を持つ ので、それだったらこうした市は本当に県と同様にしてしまえばいい例えば、神奈川県横浜市ではなくて、横浜市は神奈川県から独立させる。すると神奈川県庁が横浜市にある意味はなくなるので、厚木あたりに移転するのでしょうか?新たな地域活性化にもつながります。
警察も神奈川県警察本部ではなく、横浜市警察本部となる わけです。大阪府と大阪市の中の悪さが報じられたこともありますが、これとて両者には対等の力があるにも関わらず、上限関係のようなものがあるため、それで不信感が発生したりするわけです。

すると、日本中には県だらけということになります。しかしこうしてたくさん発生した県がすべて国と交渉をするとなると今度は国の仕事の肥大化をまねかねないので、だからこそ、その間の緩衝材として道州制なのです。道州制というととかく市区町村合併の延長のように語られがちで、かつ国を屋上屋にさせてしまうようなイメージもありますが、あくまでも、個々の都市を県レベルへと持っていくための、インキュベーション機能のようなものであり、行政を株式上場させるようなものなのです。

2)事業体の側面から

郵政と電電は元々は前島密という同じ人が作ったものです。当時は民営化すべきか?官営とすべきか?随分と議論があったそうです。しかし明治政府は官営を選択しました。「着実に送る」ということについては官へ信頼の方が当時は厚かったためでしょう。しかし今や、既に郵政も電電も民営化をしております。民営化したからこそ、電電はNTTドコモを生み出す事が出来たし、今や官よりも、民の方が信頼させる時代であるとも言えます

「新たな事業体を作り出したら最初から民営化を目指すこと」という努力目標を法律として定めるべきということ

-官というのは元々無駄を作るものなので、いつかは民営化して競争にさらされることを公務員に周知させること。
-国は事業体を株式上場すれば税金とは別の収入源を作り出すことができる(といっても国家予算からすれば小さな金額であるが)

これは、今盛んに議論されているように、官と戦うことを意味するのではありません。彼らとて、頭では分かっていても生活がありますから、霞が関をつぶすなどと言われれば抵抗するのは当たり前。

そうではなくて、官には、インキュベーション機能があるのだという使命感を与えるわけです。そうすれば、彼らの実績も評価しやすく、かつ無駄を排除することが自身の評価につながるわけです

4.その効果

こうしたことをすれば、機動性のある国の運営が可能となるだけでなく、国家財政が逼迫する中で、新たな歳入スキームを描く事も出来ます。殊に、これから社会保険料、医療費など増大していく国家財政の中で、私はいくら無駄を削って赤字国債の発行を食い止めても限界はあるでしょう。

一時多く話題になった道路特定財源にように、なくせばいいという単純なものではありません。無くしたが故に道路がボコボコになれば物流量の影響が出て、国力を下げかねません。ここに国の財政と企業経営との違いがあるのです

もちろん確かに無駄はありますが、それは自然と自浄作用が起こるような仕組みでカバーすべきで、かつ国民に不安が生じないような新たな収入のスキームを生み出すこと、それとのバーターでなければなりません

株主としての配当もさることながら、株式の売却によって得られるものが少しでも発生していけば、国債償還のための利息の足しくらいにはなるかもしれません。まあ毎年の国債発行額は40兆くらいですから、その利息と言っても莫大なものではありますが。

そうすると日本の国自体が事業体のようになってしまうのですが、日本銀行だって半民間で株式上場しているのですから、資本主義国家だからこそ描けるスキームを考えてみてはどうか?ということなのです。


もちろんこれには、他国の工作員対策もセットで考える必要があります。かつてサッチャーは「土地までもっていけまい」として、規制緩和に大きく乗り出しましたが、日本の場合はちょっと事情が異なります。本当に土地が持っていかれないような、安全保障政策とセットされることにより、担保されるものです

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